夏の気配を感じる頃となりました。いかがお過ごしでしょうか。
お土産の買い忘れや、お気に入りの商品をもう一度いかがですか。
”法師オリジナル”な商品もそろえております♪
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法師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)
¥330
1300年前に、白山大権現からのお告げを受けた泰澄大師によって粟津の地で掘り当てられた霊泉とも言われる粟津温泉。 日本三大霊峰『白山』に宿る神様が、人々の怪我や病を治すために与えてくれたものと言われており、北陸最古の名湯。その法師の湯の「御湯印」(ごとういん・ごゆいん)です。 中央に仏法僧を意味すると言われます「丸に三ツ星」の家紋、魔除けの鬼瓦があしらわれております。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈法師について~北陸最古の宿~〉 開山1300年を迎えた日本三大霊峰「白山」の歴史と同じくして法師の歴史も始まりました。 白山で厳しい修行をしていた泰澄大師の夢枕に白山大権現が現れ、地中深く隠れた霊泉のことを告げました。 その神のお告げに従いこの粟津へ赴き、霊泉を掘り当てた大師は、これまでずっと身近に使えていた弟子の雅亮法師に湯宿を建てさせ、その湯守りをまかせました、これが「法師」の始まりでございます。 雅亮法師以後、二代目より法師善五郎が代々継承し、その後四十六代に渡り一族のみで経営を続けている世界でも珍しい旅館として現在も湯を守り続けております。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【法師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)】 ■法師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)1枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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泰澄大師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)
¥330
1300年前に法師の湯が掘り当てられるきっかけとなった、奈良時代の修験道の僧、泰澄(たいちょう)の御湯印です。泰澄が始めて登頂し、開山した白山が描かれています。 御湯印としてお楽しみいただけるほか、ポストカードサイズのフレームに入れてお楽しみいただけます。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈泰澄大師について〉 奈良時代の少し前、越前(福井県)国麻生津(あそうづ)に誕生した修験道の僧。 14歳の頃から越知山(おちさん)で修行して霊験(れいけん)を高め、養老元年(717)、36歳の時、夢のお告げを受け白山に初めて登頂、開山しました。 越の大徳(こしのだいとく)とも称され、元正天皇(げんしょうてんのう)の疱瘡(ほうそう)を加持祈祷(かじきとう)で全快(ぜんかい)へと導いたともいわれ、その白山信仰は越前を中心に都でも広まり、白山は修験(しゅげん)の霊場となりました。 〈白山信仰について〉 富士山・立山と並ぶ日本三名山・日本三霊山に数えられる福井県、石川県、岐阜県にまたがる名峰「白山」。雪を頂き、光を浴びて輝く姿に、古来より人々は白山を「白き神々の座」と信じ、崇めてきました。 日本では、もともと「山」に対して二つの信仰が存在してきました。 一つは遠くから眺めて神秘を感じ、山の神に感謝を捧げる「遥拝(ようはい)」で、北陸道筋には、白山を眺めるための「遥拝所(ようはいじょ)」が設けられていました。 もう一つは、山中に分け入って厳しい修行を積み、宗教的境地を目指す「修験」で、白山には全国から修験者(山伏)が集まりました。 どちらの信仰においても、白山ほど霊峰という冠が似合う山はなく、神々しいまでの美しさは多くの人を魅了し続けています。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈法師について~北陸最古の宿~〉 開山1300年を迎えた日本三大霊峰「白山」の歴史と同じくして法師の歴史も始まりました。 白山で厳しい修行をしていた泰澄大師の夢枕に白山大権現が現れ、地中深く隠れた霊泉のことを告げました。 その神のお告げに従いこの粟津へ赴き、霊泉を掘り当てた大師は、これまでずっと身近に使えていた弟子の雅亮法師に湯宿を建てさせ、その湯守りをまかせました、これが「法師」の始まりでございます。 雅亮法師以後、二代目より法師善五郎が代々継承し、その後四十六代に渡り一族のみで経営を続けている世界でも珍しい旅館として現在も湯を守り続けております。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【泰澄大師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)】 ■泰澄大師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)1枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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雅亮法師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)
¥330
1300年前に法師の湯が掘り当てられるきっかけとなった、奈良時代の修験道の僧、泰澄(たいちょう)の弟子の雅亮法師(がりょうほうし)の御湯印です。 泰澄大師から法師の湯守りを任されたことから、法師の丸に三つ星の家紋を配しました。 御湯印としてお楽しみいただけるほか、ポストカードサイズのフレームに入れてお楽しみいただけます。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈雅亮法師について〉 雅亮法師は、泰澄大師を白山山頂までご案内した樵夫・笹切源五郎の次男であり、大変信頼が厚かったといわれます。 白山で神のお告げを受けて粟津へと足を運んだ泰澄大師は、すぐさま村人に協力を申し出て、力を合わせながら霊泉を掘り当てることに成功しました。そして、病人がその湯に浸かると、たちまち長患いが治ってしまったというのです。そこで泰澄大師は、自身の弟子である雅亮法師に命じて、一軒の湯治宿を建てさせました。 雅亮法師は、泰澄大師を白山山頂までご案内した樵夫・笹切源五郎の次男であり、そのような経緯を経て作り上げられた湯治宿というものが、ほかならぬ「法師」なのです。 泰澄大師から法師の湯守りを任せられた雅亮法師は、自身の養子を初代善五郎と命名し、法師を築き上げていくことになりました。「法師」と呼ばれる宿の、四十六代にわたる歴史は、そこから始まったのだといわれております。 〈白山信仰について〉 富士山・立山と並ぶ日本三名山・日本三霊山に数えられる福井県、石川県、岐阜県にまたがる名峰「白山」。雪を頂き、光を浴びて輝く姿に、古来より人々は白山を「白き神々の座」と信じ、崇めてきました。 日本では、もともと「山」に対して二つの信仰が存在してきました。 一つは遠くから眺めて神秘を感じ、山の神に感謝を捧げる「遥拝(ようはい)」で、北陸道筋には、白山を眺めるための「遥拝所(ようはいじょ)」が設けられていました。 もう一つは、山中に分け入って厳しい修行を積み、宗教的境地を目指す「修験」で、白山には全国から修験者(山伏)が集まりました。 どちらの信仰においても、白山ほど霊峰という冠が似合う山はなく、神々しいまでの美しさは多くの人を魅了し続けています。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈法師について~北陸最古の宿~〉 開山1300年を迎えた日本三大霊峰「白山」の歴史と同じくして法師の歴史も始まりました。 白山で厳しい修行をしていた泰澄大師の夢枕に白山大権現が現れ、地中深く隠れた霊泉のことを告げました。 その神のお告げに従いこの粟津へ赴き、霊泉を掘り当てた大師は、これまでずっと身近に使えていた弟子の雅亮法師に湯宿を建てさせ、その湯守りをまかせました、これが「法師」の始まりでございます。 雅亮法師以後、二代目より法師善五郎が代々継承し、その後四十六代に渡り一族のみで経営を続けている世界でも珍しい旅館として現在も湯を守り続けております。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【雅亮法師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)】 ■雅亮法師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)1枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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法師 御湯印 3枚セット
¥880
法師の〈御湯印〉と白山の神のお告げに従い法師の湯を掘り当てた泰澄大師と大師の命により湯宿を建て、湯守になった弟子の雅亮法師の法師御湯印 3枚セット。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈法師について~北陸最古の宿~〉 開山1300年を迎えた日本三大霊峰「白山」の歴史と同じくして法師の歴史も始まりました。 白山で厳しい修行をしていた泰澄大師の夢枕に白山大権現が現れ、地中深く隠れた霊泉のことを告げました。 その神のお告げに従いこの粟津へ赴き、霊泉を掘り当てた大師は、これまでずっと身近に使えていた弟子の雅亮法師に湯宿を建てさせ、その湯守りをまかせました、これが「法師」の始まりでございます。 雅亮法師以後、二代目より法師善五郎が代々継承し、その後四十六代に渡り一族のみで経営を続けている世界でも珍しい旅館として現在も湯を守り続けております。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【法師御湯印 3枚セット】 ■法師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)1枚 泰澄大師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)1 枚 雅亮法師 御湯印(ごとういん・ごゆいん)1 枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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粟津温泉 泰澄法師ゆかりの〈大王寺の御朱印帳2冊〉セット
¥4,180
1300年前に、白山大権現からのお告げを受けた泰澄大師によって粟津の地で掘り当てられた霊泉とも言われる粟津温泉。その粟津温泉の始まりからある大王寺の〈御朱印帳2冊〉セットです。 御朱印帳は加賀友禅風の絵柄で、〈蓮の花を持ち舞う天女〉〈微笑みかける天女〉の2種類を各1冊のお届けになります。 *御朱印帳の中は白紙の状態でお届けになります。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈大王寺について〉 大王寺は養老二年(718年)に泰澄大師によって開かれた「高野山真言宗」の寺院です。 泰澄大師は、聖域として禁則の地であった霊峰白山を白山神(白山妙理大権現)に導かれて開山された高僧です。 白山の山頂で修行中の泰澄大師の元に再び白山神が十一面観世音菩薩のお姿で現れ、 「この白山のふもとから山川を越えて五、六里行ったところに粟津という村があり、そこには薬師如来の慈悲による霊験あらたかな温泉がある。しかしながら、まだ、だれ一人として地中深くに隠れたその霊泉のことを知らぬ。お前は、ご苦労ではあるが山を下りて粟津村へ行き、村人と力を合わせて温泉を掘り出し、末永く人びとのために役立てるがよい」 と告げられました。 霊告に従い粟津の地を訪れた泰澄大師は村人とともに温泉を掘り当てました。この時、そのお力に感嘆した住民の請いに応じて、泰澄大師は首に掛けた掛佛薬師如来と自ら刻した聖観世音菩薩を守護仏として残され、「泰應寺(たいおうじ)」と名づけられました。これが大王寺の開創であります。 その後、中世期に戦火のため建物が焼失した時期もありましたが、 延亨二年(1745年)に僧来順によって再興、「養老山 大王寺」と号し、現在に至ります。 本堂には、一寸八分の掛佛「薬師瑠璃光如来」が、等身大の「聖観世音菩薩」の光背中央に掛けられており、貴重で稀な不二一体の秘仏となって鎮座なさっております。 〈法師について~北陸最古の宿~〉 開山1300年を迎えた日本三大霊峰「白山」の歴史と同じくして法師の歴史も始まりました。 白山で厳しい修行をしていた泰澄大師の夢枕に白山大権現が現れ、地中深く隠れた霊泉のことを告げました。 その神のお告げに従いこの粟津へ赴き、霊泉を掘り当てた大師は、これまでずっと身近に使えていた弟子の雅亮法師に湯宿を建てさせ、その湯守りをまかせました、これが「法師」の始まりでございます。 雅亮法師以後、二代目より法師善五郎が代々継承し、その後四十六代に渡り一族のみで経営を続けている世界でも珍しい旅館として現在も湯を守り続けております。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【大王寺の御朱印帳(だいおうじ ごしゅいんちょう)】 ■大王寺 蓮の花を持ち舞う天女の御朱印帳 1冊 大王寺 微笑みかける天女の御朱印帳 1冊 *御朱印帳の中は白紙の状態でお届けになります。