夏の気配を感じる頃となりました。いかがお過ごしでしょうか。
お土産の買い忘れや、お気に入りの商品をもう一度いかがですか。
”法師オリジナル”な商品もそろえております♪
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加賀 御城印 5枚セット
¥1,450
「金沢城」をはじめ「小松城址」「 和田山城」「鳥越城址」「大聖寺城址」の加賀の歴史を感じる〈御城印〉5枚セットです。 ■ご注意下さい こちらの御城印や武将印は、お城や城跡の管理者が発行する入場などの証明書ではございません。個人が記念としてお楽しみ頂けるようお役立て下さいませ。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【加賀 御城印 5枚セット】 ■金沢城 御城印(ごじょういん)1枚 小松城址 御城印(ごじょういん)1 枚 和田山城址 御城印(ごじょういん)1 枚 鳥越城址 御城印(ごじょういん)1 枚 大聖寺城址 御城印(ごじょういん)1 枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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鳥越城址 二曲城址 御城印(ごじょういん)
¥330
石川県白山市にある鳥越城と二曲城址セットの「御城印」(ごじょういん)。 石山本願寺の重臣、鈴木出羽守が築城し一向一揆を指導したと言われる山城です。 家紋は、その鈴木出羽守の八咫烏をあしらっています。 御城印としてお楽しみいただけるほか、ポストカードサイズのフレームに入れてお楽しみいただけます。 ■ご注意下さい こちらの御城印や武将印は、お城や城跡の管理者が発行する入場などの証明書ではございません。個人が記念としてお楽しみ頂けるようお役立て下さいませ。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈鳥越城 二曲城址について〉 二曲城址は、鳥越城址の大日川対岸に位置し、大日川流域、小松方面の支城として築城された城とされています。しかし、二曲城址の麓に「殿様屋敷跡」と呼称される二曲城址と同時代の館跡が確認されていることから、殿様屋敷跡に住した領主が勢力を拡大し白山麓本願寺門徒の長として、鈴木出羽守となったともされています。 二曲城址は発掘調査により、本丸から五の郭の郭跡における遺構が確認されており、馬蹄形を有する城跡とされています。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【鳥越城 二曲城址 御城印(ごじょういん)】 ■鳥越城 二曲城址 御城印(ごじょういん)1枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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加賀一向一揆 5枚セット
¥1,450
当館「二十七代 法師善五郎」と「 和田山城址」「鳥越城址」「小松城址(*城址石垣背景)」「大聖寺城址」の加賀一向一揆の歴史を感じる〈加賀一向一揆〉5枚セットです。 加賀一向一揆の頃、当館当主は二十七代、法師善五郎でした。 現当主の四十六代目からは十九代も前の当主の時代の加賀一向一揆の際、蓮如上人が逃れる途中に法師で飯炊きに身をやつしていたという逸話もございます。その「二十七代 法師善五郎」と加賀一向一揆の頃に築城された石川県能美市にある国史跡、「和田山城址」の御城印、石山本願寺の重臣、鈴木出羽守が築城し一向一揆を指導したと言われる山城「鳥越城址」、一向一揆の武将で元本願寺家臣。天正四年に小松城を築城しました若林長門守を入れました「小松城址」の御城印をセットにしました。 ■ご注意下さい こちらの御城印や武将印は、お城や城跡の管理者が発行する入場などの証明書ではございません。個人が記念としてお楽しみ頂けるようお役立て下さいませ。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【加賀一向一揆 5枚セット】 ■二十七代 法師善五郎 1枚 和田山城址 御城印(ごじょういん)1 枚 鳥越城址 御城印(ごじょういん)1 枚 小松城址*城址石垣背景 御城印(ごじょういん)1 枚 大聖寺城址 御城印(ごじょういん)1 枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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金沢城 御城印(ごじょういん)
¥330
石川県金沢市にある金沢城の「御城印」(ごじょういん)。 江戸時代の加賀藩主、前田利家の家紋、梅の花びらをした「加賀梅鉢」が配されています。 御城印としてお楽しみいただけるほか、ポストカードサイズのフレームに入れてお楽しみいただけます。 ■ご注意下さい こちらの御城印や武将印は、お城や城跡の管理者が発行する入場などの証明書ではございません。個人が記念としてお楽しみ頂けるようお役立て下さいませ。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈金沢城について〉 天文15年(1546年)に創建された金沢御堂は、地元の大坊主衆や本願寺の坊官たちが取り仕切っていました。 金沢城は天正8年(1580年)加賀一向一揆の拠点となっていた金沢御堂を陥落させた佐久間盛政がその跡に築いた城を、天正11年(1583年)前田利家が加賀支配の拠点とすべく築城の名手といわれる高山右近を招いて近世城郭へと改修しました。 天守は落雷により焼失。現存している櫓と門は石川門や三十軒長屋などわずかですが、当時の櫓の数は全国最大級で加賀百万石の威容を誇り、現在も復元整備が行われています。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【金沢城 御城印(ごじょういん)】 ■金沢城 御城印(ごじょういん)1枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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小松城址 御城印(ごじょういん)
¥330
法師のある、小松市にある小松城址の「御城印」(ごじょういん)。 城主であった、村上氏のさがり藤、丹羽氏のすじかいもん、前田家の梅鉢の家紋が配されています。 御城印としてお楽しみいただけるほか、ポストカードサイズのフレームに入れてお楽しみいただけます。 ■ご注意下さい こちらの御城印や武将印は、お城や城跡の管理者が発行する入場などの証明書ではございません。個人が記念としてお楽しみ頂けるようお役立て下さいませ。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈小松城について〉 小松城は、天正年間に若林長門によって築かれました。若林長門は、一向一揆の武将で元本願寺家臣。天正7年に柴田勝家に攻められて落城、その後織田信長の命により村上頼勝が城主としました。 慶長3年、頼勝は越後村上に移され、松任城主丹羽長重が入城。慶長5年、関ヶ原で西軍に与した長重は、金沢城主前田利長と合戦したが敗退、戦後長重は所領没収となり、長重の所領は前田利長に与えられました。 寛永16年、前田利常が隠居する際、小松城を隠居所とし、二の丸・三の丸を増築し、新たに石垣が組まれるなど大改修を行いました。利常は小松城で19年間隠居生活を送り、万治元年に没した後は、以降明治まで城番が置かれ維持されましたが。明治5年 廃城となりました。 現在は天守台及び内堀の石垣が残り、建造物は、鰻橋御門が小松市園町の来生寺寺門に移築され現存。兎御門扉及び葭島御殿兎門扉が金沢市の成巽閣で、二階御亭入口扉が小松市丸の内公園町の小松市立博物館で、それぞれ保管されています。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【小松城址 御城印(ごじょういん)】 ■ 小松城址 御城印(ごじょういん)1 枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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小松城址 御城印(ごじょういん)*加賀一向一揆Ver.
¥330
法師のある、小松市にある小松城址の「御城印」(ごじょういん)。 こちらは、加賀一向一揆の頃に築城された若林長門守と城壁をモチーフにしました、加賀一向一揆オリジナル御城印になります。 若林氏は天正7年には、柴田勝家に滅ぼされ、その後城主となった、村上氏のさがり藤、丹羽氏のすじかいもんを背景にしております。 御城印としてお楽しみいただけるほか、ポストカードサイズのフレームに入れてお楽しみいただけます。 ■ご注意下さい こちらの御城印や武将印は、お城や城跡の管理者が発行する入場などの証明書ではございません。個人が記念としてお楽しみ頂けるようお役立て下さいませ。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈小松城について〉 小松城は、天正年間に若林長門守によって築かれました。若林長門は、一向一揆の武将で元本願寺家臣。天正7年に柴田勝家に攻められて落城、その後織田信長の命により村上頼勝が城主となりました。 慶長3年、頼勝は越後村上に移され、松任城主丹羽長重が入城。慶長5年、関ヶ原で西軍に与した長重は、金沢城主前田利長と合戦したが敗退、戦後長重は所領没収となり、長重の所領は前田利長に与えられました。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【小松城址 御城印*城址石垣背景】 ■ 小松城址*城址石垣背景 御城印(ごじょういん)1 枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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鳥越城址 御城印(ごじょういん)
¥330
石川県白山市にある鳥越城址の「御城印」(ごじょういん)。 石山本願寺の重臣、鈴木出羽守が築城し一向一揆を指導したと言われる山城です。 家紋は、その鈴木出羽守の八咫烏をあしらっています。 御城印としてお楽しみいただけるほか、ポストカードサイズのフレームに入れてお楽しみいただけます。 ■ご注意下さい こちらの御城印や武将印は、お城や城跡の管理者が発行する入場などの証明書ではございません。個人が記念としてお楽しみ頂けるようお役立て下さいませ。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈鳥越城について〉 鳥越城は白山麓の旗本、鈴木出羽守を城主として、加賀一向一揆討滅の経路がはかられる中で、山内衆の抵抗の拠点として築城されました。 織田方の柴田勝家軍によって落城し、鈴木一族は滅ぼされ、その後織田方の吉原次郎兵衛の管理下に置かれましたが、白山麓門徒の抵抗は続き攻防戦が展開されました。 天正10年(1582年)、織田方の佐久間盛政によって鎮圧され、三百余人が磔に処せられました。この鳥越城は、加賀一向一揆の栄光と挫折を最後まで担い続けた、白山麓門徒たちの記録として歴史上の意義を持ちます。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【鳥越城址 御城印(ごじょういん)】 ■鳥越城址 御城印(ごじょういん)1枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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大聖寺城址 御城印(ごじょういん)
¥330
石川県加賀市にある大聖寺城址の「御城印」(ごじょういん)。 城主であった、溝口秀勝自ら図案化したといわれる五階菱と檜扇が配されています。 その後入城された山口玄蕃頭宗永の菩提寺でもあります全昌寺さんには、当館の以前の善五郎が五百羅漢を寄進されておられます。 御城印としてお楽しみいただけるほか、ポストカードサイズのフレームに入れてお楽しみいただけます。 ■ご注意下さい こちらの御城印や武将印は、お城や城跡の管理者が発行する入場などの証明書ではございません。個人が記念としてお楽しみ頂けるようお役立て下さいませ。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈大聖寺城について〉 大聖寺城は鎌倉時代に築かれた城です。戦国時代には一向一揆の拠点となっていましたが、織田信長によって加賀が平定されると、信長は柴田勝家に命じて城を修復させました。1583年(天正11年)の「賤ヶ岳の戦い」で勝家が敗れた後は、溝口秀勝が入城しています。「関ケ原の戦い」では時の城主、山口玄蕃頭宗永が西軍についたため、前田利長に攻められ落城しました。その後は前田家の家臣が城代を務めましたが、元和の一国一城令によって廃城となりました。しかし1639年(寛永16年)には前田利治が7万石を分けられて大聖寺藩を立藩し、跡地に大聖寺陣屋を設けました。 現在は錦城山公園として整備されており、茶室の長流亭は小堀遠州の設計によるもので国の重要文化財に指定されています。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【大聖寺城址 御城印(ごじょういん)】 ■ 大聖寺城址 御城印(ごじょういん)1 枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙
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和田山城址 御城印(ごじょういん)
¥330
石川県能美市にある国史跡、和田山城址の「御城印」(ごじょういん)。 戦国時代、一向一揆の頃に築城され変遷を重ねながら柴田勝家の家臣安井家清(左近)が城主となっております。家紋は柴田勝家の、2羽の雁(がん)の意匠が配されています。 柴田家の雁は、上と下で口が阿吽となっているのが特徴です。 御城印としてお楽しみいただけるほか、ポストカードサイズのフレームに入れてお楽しみいただけます。 ■ご注意下さい こちらの御城印や武将印は、お城や城跡の管理者が発行する入場などの証明書ではございません。個人が記念としてお楽しみ頂けるようお役立て下さいませ。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 〈和田山城について〉 和田城のある和田山には弥生末期の竪穴建物跡や高床式倉庫跡や多数の古墳やがあり、この古墳に埋葬された人は、強大な武力によって能美地域を支配した首長であったと推測されます。 そのような場所に、戦国時代になると、永正3年(1506年)には和田坊超勝寺によってこの和田山城が築かれました。 天正3年(1575年)に越前一向一揆を制圧した織田信長は、柴田勝家を配し、柴田勝家はこの和田山城に家臣の安井左近を入れて改修させたと見られ、現在の遺構はこの時のものであると考えられます。 和田山城跡は、本丸の北側と南側には土塁があり、北側の二の丸の北側にも大きな土塁があり、ここには櫓があったものと思われ、厳重な防御施設が設けられています。また空堀もたいへん深く幅の広いもので、虎口、犬走などの遺構もしっかり残っていて、第一級の遺構を残しています。現在は国史跡、和田山・末寺山史跡公園として散策することもできます。 ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 【和田山城 御城印(ごじょういん)】 ■和田山城 御城印(ごじょういん)1枚 ■サイズ:100×148㎜(はがきサイズ) ■紙